妙法生寺に参拝する ワンコの名前はジョイ君 千葉県夷隅郡大多喜町

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首都圏で日帰りツーリングに行くならもっぱら千葉である。目的のひとつはお寺巡り。GSR750とともに妙法生寺(みょうほうしょうじ)にゆく。地図をみると、「麻綿原高原」という山の中だ。私は秘境のような場所にある神社仏閣は大好きなのでわくわくしながら向かっていると、途中から道が狭くて荒れている。走れないことはないが、オンロードバイクやと慎重に走らないと危ない。このあたりは広い範囲で山なので、これほど奥まで入っていくのなら、無人寺ではないかと思った。

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お寺に着くと、木の枝を切っている人がいる。聞くと、あじさいの枝を切って、間引きしていると言う。妙法生寺はあじさいで有名なのだった。50年ほど前から前住職が植えはじめ、今では20万本ほどのあじさいがあるという。開花の7月には、多くの参拝客で賑わうとのこと。

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階段を上って本堂前に着くと、作業着姿の男性に会い、挨拶をされた。その方に「扉が閉まっていますが、(本堂の)中に入れます。入ると、握手できる仏様がいますので。(私の持っているビニール袋を見て)食事はこちら(休憩所)でできますよ」と言われた。本堂に入れるのは嬉しいが、『握手できる仏様』ってなに?初めて聞く表現だ。男性と会話をしていると犬が近づいてきた。犬好きなので、ワンちゃん、ワンちゃんと犬に話しかけると、「名前はジョイといいます」。人と話すのが好きな人なのだろう。たぶん、この人は住職だろうなと思った。人相でそう感じたが、ただし作業着なので断定はできない。

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お堂にお邪魔させて頂くと、握手できる仏様とは、手に触れることができるという意味であろう。これはお寺の魅力を上げる努力である。私は本堂の静寂のなかをひとり、座っていた。何かを考えたり、あるいは考えなかったりしながら、しばし時が経つのを忘れて、仏様の前で座る。

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本堂を出ると、荷物を置いていた所にみかんがあった。さきほどの方だろう、ありがたく頂く。

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他にもおばあさんがいて、他の参拝者に飼い犬と猪の決闘について15分ほど熱く語っていたが、高齢にみえるのに、話し方が非常にはっきりとしていた。以前に九十九里浜ちかくの神社で、神社の関係者である88歳のおばあさんに会ったが、彼女も話し方や動作がしっかりしていた。神仏のご加護のおかげでそうなっているのならおもしろいが、どうだろうか。帰り際におばあさんに挨拶すると、ハキハキと話されるのですごいなと思った。こういう歳のとりかたができれば幸せだ。

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あじさいの間引きをしていた人にも話しかけると、いろいろな話をしてくれておもしろかった。彼は会津の寺で1週間、断食などの修行をしたという。せっかくここまで来たのだから、天拝園まで登っていけばいい、そこで日蓮が暁光を拝んだ伝承がある、と言われたので行ってみると、これはもう、本当に素晴らしい景色である。房総の山と太平洋が、これほど広くみえる場所は他ではないのでは、とすら思った。教えてもらわなかったらこの景色を見ることはなかったので、感謝です。

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  北は見渡す限りの山

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  奥は太平洋

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素敵な景色に後ろ髪を引かれつつバイクまで戻ると、さきほどの方と、みかんをくれた方が道に座って休憩している。みかんの方はやはり住職だった。「飲んでいきませんか」と缶コーヒーとお菓子をくださり、私も道に座る。バイクで千葉の有名な寺巡りをしていますと言うと、「なんでそんなことしてるの?」。自身では意識してなかったのやが、私ぐらいの年齢で、お寺に興味があるのは珍しいと言われた。おもしろかったのは、「あ、創価学会の人?」。なるほど、このお寺は日蓮宗やからそれはありえる。「いえ、ぼくは創価学会ではないです」。「では小さい頃に両親とお寺に参っていた?」。すみません、それもちがいます。四国の出身だというと、88か所だからか、とも言われたが、それもちがう。私のように周囲の影響でなく、自分でお寺が好きになった若い人は、あまりいないのだろう。考えてみるとたしかにそんな人、私の周りにもいない。

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  7月はあじさいでいっぱいの景色になる

 

住職は明るく、人が好きな方だったので、愉しくお話しさせていただいた。住職と話しこむなんてめったにない機会なので、いろいろと質問させていただく。日蓮の法難のうちの、首を切られる寸前に、何か光るものが落ちてきた助かったエピソード、あれは事実でしょうかと聞くと、科学的な解が返ってきたのはおもしろかった。住職は事実だろう、という考え。

では、もう暗くなるので、と解散し住職は山に入っていったが、そういえば大事なことを聞き忘れていたと気づき、迷惑かなと思いつつ追いかけていき、「お寺で拝む際に、何を祈ればいいですか?」と聞く。

「私が信者の人達にいつも言っているのは、最初の祈りは世界平和です。みなが人の気持ちを考えるようになれば、争いはなくなる。次は、家族や周りの人の幸せです。そして最後に、自分のこと」

仏教のルールとして、それらが決まっているわけではない。この考えは、住職が仏教日蓮宗などを勉強した結果、導き出した考えであり、縁あって私はそれを聞くことができた。したがってこれからはその3つを祈ることにする。

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妙法生寺は山奥にあるので、主要道路から近い清澄寺や誕生寺よりは行きにくい。そして住職に言われて気づいたが、墓がない。つまり菩提寺ではないので、それに類する収入は無い。世間で仏教が嫌われている面がある原因に、いわゆる葬式仏教がある。墓があることで、寄付をさせたり、頼んでもいないのに盆に坊さんがきて、お経を唱えて大金をもっていったりする。これはたいへん“おいしい商売”だ。こういう現世利益を汚らしく追い求める住職のいる寺のガレージをみると、LSなどの高級車が停まっていたりするのやが、妙法生寺は(おそらく)クリーンだ。その結果として、かつては廃寺になる手前まで追い込まれたときもあったという。あじさいを植え続けたのも、参拝者を増やす営業努力である。しかしながらそれは一時の期間だけなので、いまは紅葉を植えているとのこと。紅葉の苗?は大きいのは高価なので、小さいのを数百円で買って、10年後に向けて植えているという。こういった地道な努力をしているお寺があることを知り、勉強になった。私もまた、妙法生寺を訪れたい。山奥なので、すばらしい自然のなかにある。妙法生寺はかなり魅力のあるお寺であった。

 

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