牛と触れ合う 千葉

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千葉ツーリングで神野寺に向かっていて、鹿野山を走っていると道が2つに分かれてちがう方へ入ってしまった。すると右側に牛がたくさんいる建物がある。バイクを降りて、ヘルメットをかぶったまま牛に近づいてみる。

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人に気づいた牛のすべてが私に関心を寄せた。しかしおもしろいことに手を伸ばして触ろうとすると、みんな逃げる。牛は種類によって性格がちがうのかもしれないが、荒くても去勢すればおとなしくなるはず。ネットで調べると、日本では繁殖用でない牛はみんな去勢しているとのこと。その結果として、臆病なのだろう。みんなが優しい心を持っていることは、彼らの目を見ればわかる。1頭だけ逃げない牛がいて、彼(女)はヘルメットを舐めてくれる。これは失礼なことをした。ヘルメットを置きにバイクまで戻ろうとしたところで管理人が近づいてきた。

「なにか(御用ですか)?」

「いや、バイクで走ってたら道に迷ってしまい、ここを走ると牛がたくさんいたのでこうやって見てたんです」

「ああ、そうですか」

親切な人でよかった、性格悪ければ追い出されるだろう、端から見ればただの不審者だ。私は希望を込めて訊く、「この牛たちは、乳牛ですか?」

「食肉です」

「……」

いずれ彼らは殺されるのか、と思いつつヘルメットを脱ぎ、また牛を触りにいく。考えてみると、牛と触れ合うのは久しぶりで、記憶がほぼ無いが、数回しかなかっただろう。今回初めてわかったが、牛の舌はものすごく伸びる。30㎝ぐらいある。そしてびっくりしたのが、私の顔を舐めてくれるのやけど、舌の表面がやすりのようになっている。よって顎の皮が剥げるのではないかと思った。けっこう痛い。

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  真ん中の牛だけ逃げない

 

私は2年ほど前から牛肉を食べないことにしている。本来、生き物は食料を自分で調達する。牛を食べるなら、自分で牛を殺して解体せねばならない。人間は分業するから、今はスーパーに解体作業を終えた肉があり、それを買うだけやが、大事なことは『殺す、解体』の作業を自分ができるかどうかだ。実際にはしなくていい、しかしやろうと思えばできるかどうか。私はあんなに大きくて、綺麗な目をしていて、知能もけっこう高い牛を殺すのは無理だ。自分で殺せないくせに、牛肉を美味しい美味しいと食うのは絶対に間違っていると思ったので、牛肉は食べない。元々嫌いやが、同様の理由で馬肉など死ぬまで一度も食べない。ただ、やりたくないが、豚と鶏は殺そうと思えばできるので、これらの肉や魚は食べる。

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牛肉は身近な食材やが、牛と接する機会はない。鶏はあるが、豚もない。小学校の課外授業で彼らとの接点を作るべきだ。少なくとも高知の一宮東小学校でそれはなかった。鶏は学校で飼ってたけど。北海道ツーリングで広い敷地で牛がのんびり生活しているのをよく見かけたが、触れ合う機会はあまりなかったなぁと思った。今回のおかげで、牛や食べ物、食べることに対して改めて考えてみようと思った。いろんな体験をするのは大事だ。

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