CBR1000RR SPに乗る

今年フルモデルチェンジしたホンダのCBR1000RRに乗ってみたいと強く思っていたが、そんなチャンスはめったにない。半ば諦めていたところ、想定していなかった試乗の機会を得て、乗ることができた。むちゃくちゃ嬉しい。ということでCBRのかんたんな紹介をすると、最高出力は192馬力、最大トルクは11,6kgf・mで、私が乗ったCBR1000RR SPの車重は195㎏である。価格は2,462,400円(税込)で、SPはノーマルの約40万円高である。

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発売から1か月も経たない頃に海老名SAで見かけたことがあるので実車をみるのは初めてではないが、対面するとほんとにカッコいい。スズキ、ヤマハは青でカワサキは緑、ホンダのSSは赤。やはり一番目立つのは赤だろう。個人的に素晴らしいと思ったのは足つきで、それほど高くない。以前に新型のYZF‐R6に乗ると車高が高くて私の足の長さではちょっとキツいなと感じたが、CBRならなんとか足つきにストレスを感じない。跨る前か跨った後にホンダの人に、「ふだんスポーツバイクに乗られていますよね?」みたいなことを言われた。慣れている感じがしたのだろう。乗ってますと答えると、バイクの説明は一切されなかった。短時間にワーワー言われてもわからないので、それでいい。

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キーをオンに入れて大きなモニターをみると、カラー液晶で感動する。今のSSのそれの多くはカラーやが、私にとってカラーは高嶺の花のようなもの。跨って驚いたのは、車体のコンパクトさである。ボディサイズは当然、小さいはずがないが、跨った印象ではおおげさかもしれないが250㏄バイクのようだと感じた。夏に新型のGSX-R1000Rにも乗ったが、そのときにそう感じた記憶はないのでCBRのほうがコンパクトに感じる設計をしているのではないか。エンジンかけるとやっぱり1000㏄のSSの素晴らしいエンジン音が聴ける。エンジン出力の設定は触ってないが、レインモードのような出力を抑えてるモードになっていたはずで、飛んでいくような加速はしなかったが、やはり速い。コースを他のバイクと一緒に走るのでスピードは出しにくいが、わざと前車と距離をとってカーブを曲がり、立ち上がりの直線でおもいっきり加速をすると100㎞/hまで気持ちよく回る。新型がアピールしている点は軽量化で、結果、車重は200㎏を切っていて、CBRがもっとも軽いのだろう。走る距離が短いのでなんとなくやが、車体の軽さを感じることはできた。エンジンに関しては、ホンダは最高馬力の競争は避けている。ライバルには200馬力を超えるモデルもあるが、この差は私の腕ではわからないだろう。確実にいえるのは、192馬力でも死ぬほど速い。

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このクラスはどのメーカーも本気で作ってきているので、どのバイクの完成度も高い。したがってどれを選んでもいいが、私ならCBR1000RRかGSX-R1000で選ぶ。他は10万から20万円ほど高い。最も安いのはスズキである。バイク好きである以上、一度はSSに乗らねばならないと思っているので、将来CBR1000RRを所有することがあるかもしれない。そういう未来になれば、うれしい。

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東京モーターショー試乗会で、ホンダはバイクにCBR1000RR SPを、クルマはNSXを用意してきた。ただしNSXは助手席に乗っての試乗、つまり運転はできない。

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カワサキ Z900RS 東京モーターショー

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東京モーターショーの注目車種のひとつはバイクのZ900RSである。ワールドプレミアで事前から注目されており、Z900RSの最大の話題はZ1のデザインを踏襲していること。当時、最高にカッコよく、多くの若者の憧れだったZ1のデザインをベースに、現代の新しいデザインと融合させている。実車をみると、あまりのカッコよさにびっくりした。超素晴らしいデザインだ。こんなバイクを作れるカワサキは凄いなと強く思った。Z1000の顔はやり過ぎやが、カワサキのデザイン力は高い。

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おもしろいのが、リアサスがシングルであること。先入観の影響が大きいが、ネイキッドにはダブルサスが似合うと思ってしまう。実際にネイキッドのほとんどのリアサスがダブルサスやが、Z900RSはシングルだ。他でいえば、グラブバーが付いてない。これはデザイン上、ないほうがいいと判断したからだろう。その結果、後ろから見るとリア部分が小さくまとまっていてスマートでよい。ということで見た目重視ならダブルサスのほうがいいのだろうが、なぜシングルにしたかはフロントフォークをみればわかる。驚くことに倒立フォークである。つまり、Z900RSは速く走るよう足回りを作っている。CB1300や、同じカワサキのZRX1200は正立フォークで、ネイキッドで倒立フォークの日本車は歴代の車種を含めて珍しいだろう。あるいはなかったかもしれない。

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エンジンは111馬力、トルクは10.0kgf・mと速い。が、950㏄の排気量を考えるとこれぐらいが標準だ。実車をみればわかるが、コストをかけて作ったのだろう、価格は1,328,400円と安くはない。排気量がより大きいCB1300と同価格だ。

優れたデザインではあるが、細かい点で気になったのは、ウインカーはもっと小さくしてほしい。それとZ900のロゴがz900とZのほうが数字より小さいが、これは同じ大きさにしたほうがいい。非常に残念に思うことは、販売されるカラーが2タイプで、赤と黒。なんと展示車のオレンジがない!オレンジ、むちゃくちゃカッコいいのに、なぜラインナップにないのか。赤もカッコいいだろうけど、オレンジのほうがZ900RSに合ってると思う。2019年モデルでの追加を期待する。

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相当にカッコいいバイクであることと、Z1世代は特に心が躍るのだろう、Z900RSのブースは大人気だった。しかし実際に買うかはまたべつなことで、日本ではバイクがあまり売れない状況下で、Z900RSはどれほど売れるだろうか。私はZ900RSを惚れるほど好きになったが、ネイキッドを愛車にはしないので購入対象ではない。Z1の時代なら大ヒットが確実なほど魅力ある。発売は12月1日から。スズキはおそらく、バンディットなき後もリッタークラスのネイキッドは作らないと思う。Z900RSはZ1の復活だといわれるが、カワサキは今年か去年にZRX1200が生産中止となったので、正確にはZ1でなくそれの代わりになるモデルである。SS以外でこれほどデザインレベルが高いバイクは珍しい。みているだけで興奮してくる。カワサキの底力を感じた。

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  カスタムされたモデル

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 同じくカスタムモデル

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新型クラウン 東京モーターショー2017年

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東京モーターショーで楽しみにしていたモデルのひとつは次期型クラウンである。現行のグリルの形は絶対におかしいので、新型はまともにしてくるのか、全体的にカッコよく仕上がっているのか期待していたのだった。実車をみると、デザインの完成度の高さに本気で驚いた。とんでもなくいい。クラウンのデザインをきちんと踏襲していながらも新しい。新型のデザインコンセプトは「スポーティ」やと思う。たとえばサイズが近いBMW5シリーズのデザインはかなりスポーティで、ベンツEクラスもその雰囲気はある。クラウンは2つ前のゼロクラウンからその方向性にいこうとしたが、どうしても既存のおじさん御用達的な雰囲気がより強かった。それが新型で高いレベルで融合されているなと感じた。どこの角度からみても素晴らしいデザインだ。

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たとえば横のガラスは前席、後席の2枚が一般的やが、その後ろにもう一枚ガラスがあり、Cピラーの角度が緩やかでクーペのようなスタイルになっている。伝統のあるクラウンでこういったデザインにしたのはおもしろい。リアデザインもきれいにまとまっているなと思う。そしてCROWNのロゴも素晴らしい字体でこのまま市販化してほしい。ただ、あくまでコンセプトモデルなので完成車のデザインは変わる可能性はある。あるが、デザインはできあがっているので、ほぼこのまま発売されるとは思う。たとえばホイールもカッコいいが、コストがかかるものだろうから市販車ではこんなホイールは履いてないかもしれない。グリルにRSとあるが、これは既存モデルならアスリートである。私はアスリートの名称のほうがいいと思うが、足回りのセッティングもロイヤルと変えて本格的なスポーティモデルを用意するのかもしれない。ロイヤルはRSより地味なデザインになる。

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デザインはとくにサイドビューが素晴らしいと思う。これはBMWとベンツにまったく負けていない。現行のそれと比較すると、まったく違う。現行が古臭くみえるほどだ。価格が200万円ほど違うのでしかたない面もあるが、今までは5シリーズとEクラスと見比べると、デザインに見劣りはしていたが、新型は負けてない。クラウンのデザインを担当した人達は、ほんとうによい仕事をしたと思う。

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現行の画期的だった点はエンジンで、以前のクラウンといえば6気筒だったが、現行の売れ筋は4気筒2リッター+ハイブリッドである。最大のメリットは燃費がよくなったことで、従来の6気筒モデルより20%ほどいいのではないか。したがって新型も同じタイプになるだろう。V6のラインナップが消えるという噂もある。

現行の最大のだめな点は自動ブレーキの性能の低さで、新型は発売されたばかりのLSと同じシステムを採用してほしい。高性能の自動ブレーキがつけば、クラウンの弱点はなくなると思う。

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私が小学生の頃に父がクラウンに乗っていて、よく助手席に乗った。だから私にはクラウンの思い出があり、関心が強い。コンセプトモデルのデザインのまま発売となればすごく嬉しい。クラウンは日本を代表するクルマなので、完成度が高ければ素晴らしいことだ。

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「クロスウェーブ湘南藤沢献血ルーム」で献血

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神奈川に献血ルームは8か所あり、そのうち6か所には行った。二俣川はもともと行くつもりはなく、藤沢は行けない距離ではないがかなり遠いのと、HPの写真からは魅力があるルームにはみえなかったので行く予定はなかった。ただ湘南に行く機会があればルームにも寄りたいなとは思っていて、今回、その機会を得た。ということでワクワクしながら藤沢のルームに行く。テラスモール湘南から歩くと1時間ぐらいかかって驚いた。それ自体はべつにいいが、成分献血の最終受付がたしか16時15分(か30分)で、その時間を超えそうだったので焦る。藤沢駅に着くと、「あーここに来たことある!」。7年ほど前に、家族と横浜・八景島シーパラダイスから大仏を見に行く移動の途中に藤沢駅で降り、ここから江ノ電に乗ったのをすっかり忘れていた。懐かしいなぁと思いながら駅周辺を歩き、ルームがどこにあるのかわからないのでビルの警備員に教えてもらう。ルームが入居するビルのエレベーターで2階まで上がり、扉が開くとそこがルームである。想像していた通り、受付と待合室は狭い。

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おもしろかったのは、Jアラートについての注意書きがあり、採血中にJアラートが鳴るとすぐに中止にするとある。この日は9月で、北朝鮮が頻繁にミサイルを発射していたときだ。たしかに鳴ればすぐに逃げるなりどこかに隠れたりしなければならないので、針が刺さっていたらどうしようもない。北朝鮮のミサイルは日本に着弾していないが、朝のラッシュ時の電車が止まるなどして日本は迷惑している。

採血室でベッドに座り、部屋を眺めると、そこそこ広いし綺麗である。これは写真ではわからないことだ。ここへ来る予定がなかったけれど、来てよかったなぁと思った。藤沢のだめなところは、お菓子の用意がないこと。他のルームでもない所があるが、お菓子はほしい。せっかく藤沢のルームに来たことやし、二度と来ないような気もするので最後まで居座っていたら、私が最後のひとりになっていた。18時ぐらいにスタッフが片付けを始めてガヤガヤしだしたのに気づいてルームを去る。横浜Leafや川崎のような個性あるルームではないが、ルーム巡りが趣味なら行くべきであったと思ったので、今日はよかった。これで私の神奈川の献血ルーム巡りは終わり。

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 閉所前の片付け中

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私の献血ルーム巡り

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神奈川の献血ルーム巡り

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カエルを助ける

19時前に市川市千葉街道船橋方面にバイクで走っていると、自分が走ってる車道側の端で何かがジャンプするのを見かけた。2~3回ジャンプしていて物が飛んでる風ではなく、すぐにカエルか!と思った。私はびっくりした、田舎では道路上に生き物がいるなんてよくみかける光景だろうが、都会でそれはない。近づくとやはりカエルで、しかもデカい。交通量が多いのでかなり危険な状況である。カエルは当然、人間社会に対して無知ではあるが、危ない状況であることはなんとなく理解しているのだろう、だからジャンプしているのだ。ということなのでバイクを車道の横に停めて、カエルを捕まえにいく。

しかしながら、車道にバイクを停めるなど本来なら絶対にしたくない。街灯はあるが、夜なので見えなくて車が突っ込んでくる可能性がある。だから道路から離れてどこかのスペースに停めたいわけやが、見ると近くにそのような場所はない。千葉街道は全般に狭いのだった。早くカエルを救出しないと、彼(彼女かもしれんが性別はわからんので彼とする)が車道の真ん中へ進むとペチャンコになる。バイクは超大事やが、生き物の命だって大切だ。ということでハンドルロックしカエルの元へ行き、まずは足で歩道へと誘導する。車道を離れたらとりあえずは安心で、そこで初めてカエルを捕まえた。身体がデカい。たぶん、これはウシガエルだろう。よくぞ都会でここまで大きく育ったなと感心した。

さて、彼を逃がす場所を探さねばならない。カエルがいるということは近辺に川や沼、ドブがありそうやが、この辺りにくわしくないのでそれはわからぬ。夜で遠くは見えないし。家で地図をみると、近辺に川などはなかった。バイクの心配がなければカエルにとってよい環境の場所を探してやるが、それもできぬ。そしてタンクバッグに入れて川まで運ぶという選択肢もあるが、それはアマガエルならできることでウシガエルは大きすぎて無理だ。ということで住宅地に入っていき、草がたくさん生えている土地があったので、そこで逃がす。5分ぐらい掴まれていたので疲れたのだろう、手を離すと動かなくなった。暗いのでこのあたりの土地の全体像がまったくわからない。大きなカエルにとって生き抜くのは大変な場所だろうとは思うが、残念ながら私にはこれ以上のことはできない。一番いいのは誰かが見つけて川などに逃がしてやることやが、そんな親切な人はいないだろう。それにしても彼はどこから来たのだろうか。ペットが逃げたというケースも考えられる。

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カエルにがんばって生きろよと言ってお別れをし、道路の向こう側のコンビニでトイレを借りて手を洗ってバイクの元へ戻る。10分ぐらい離れていたので心配やったが、何もトラブルなく停まっていて本当によかった。

ああいう出来事に遭遇することはめったにないが、バイクの時でよかった。車なら駐車するなど無理だ。難しいかもしれないが、彼には生き延びてほしいと願う。ちなみにカエルを助けるなんていい人だと思うかもしれないが、私は中国の桂林という中国大陸の奥地でカエルを食べた。夜店でカエルが3匹、串刺しになって売られていたのだった。味は美味しくもなく、不味くもなく。したがってカエルにとって私は天敵であり、命の恩人でもある。

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「本厚木献血ルーム」で献血 ②

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本厚木献血ルームには以前に行ったことあるが、私の家からは遠い。そしてこれといった特徴はないルームなのでもう行くことはないだろうなと思っていたが、海老名に用ができたのと首都圏のルームのほとんどに訪れたので、改めて本厚木に行ってみることにした。

今夜に超大型の台風が首都圏に上陸するとのことで、朝から雨である。9時40分から開所で30分から中に入れると電話で聞いたので、20分にルームに着く。朝一の予約が埋まっていて、12時過ぎにはルームを出なければいけないので早く受付をしたいのだった。日曜日は開所前から並んで待っている場合があると言われたのでちょっと早めに着いたわけやが、先客は一人。後でわかったが、彼は本厚木の常連みたいだ。こんな雨の中を早めに来るなんて、みたいな目で見られたが、それはおまえもだろうが。

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ということで受付番号は2番で、これなら早い段階で呼ばれるだろう。今回に限っては、雨とちょっと強い風の日でよかった。しかし10時には10人ぐらいいて、広いルームではないが献血協力者は多いのかもしれない。今回の衆議院選挙で安倍首相が本厚木に演説に来ていたから、大きな街なのだろう。

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10時10分から採血開始。まず、針刺す際にまったく痛みがなかった。これは凄い技術で、それができる立派な看護師は20~30人に1人しかいない。看護師さんに、「半袖で寒くないですか?」と聞かれた。針刺すので理想が半袖なのは当然やが、いまは10月であるのも確かな事実だ。したがってどちらにしようかけっこう考えて、よし半袖でいこうと決めてインナーを脱いでいった。大丈夫ですと答えると、「血液が温かったので、体温が高いということです、代謝もよいのではないですか?汗もたくさんかいて」と言われた。たしかに溜めてある自分の血を触るとあったかい。これで体温が高いかどうかの判断ができるとは恥ずかしながら初めて知った。

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…とはいってもベッドに座って動かないので、体温は絶対に上がらない。そのうえに私がいる場所は窓側で、クーラーついてるんじゃないかと思うぐらい寒い。あー、これはちょっとキツいなと思いつつも自分の意志で半袖でやってきたわけなので、「すみません、ちょっと寒いんです」なんてセリフは死んでも言えない。すると看護師さんが夏の恰好したバカの状態に気付いてくれて、毛布を持ってきてくれた。うん、次回からは確実にインナー脱がずに採血室にいこう。

このルームのだめなところは、お菓子の用意がないこと。他のルームでもたまに用意がないところはあるが、お菓子ぐらいはほしい。ただおもしろかったのはカルシウムのサプリメントをくれたこと。これは他では配ってない。サプリメントと歯磨き粉をもらう。

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ということで二度と来ないだろうなと思っていた本厚木のルームに再び来ることができてうれしかった。また行く機会があればいいな。

 

私の献血ルーム巡り

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 神奈川の献血ルーム巡り

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ツバメの雛を助ける

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あるサービスエリアでツバメが巣を作っており、雛が3羽いたのやが、1羽が巣から落ちてしまった。雛が巣から落ちるのはよくあることで、自然界では落下で死なずとも、以降に生き残ることはできない。ただ今回は、糞害を避けるために巣の下に発砲スチロールを置いてあり、雛はそこに落ちたので元気である。彼は運がよかった。

当然、ほっとくわけにはいかないが、如何せん彼は野生なので安直に助けるのは気が進まぬ。だから様子を見ていると、驚くことにエサをやりにくる親が落ちた雛に一切かまわない。その雛もピーピー鳴いているので気が付かないということはないだろう。これでわかったのは、ツバメの知能は想像していたよりもかなり低いのではないかということ。私ら人間からみれば、ツバメはみな同じにみえる。しかしながら親はさすがに自分の子は判別できるだろうと思っていたが、どうやらできないみたいだ。そして子供が3羽いたのに2羽しかいない、あれ、おかしいな、下に1羽いるので自分の子が落ちたのではないか-----、という判断もできないみたいだ。べつにツバメが頭よかろうが悪かろうが私に関係ないが、ちょっとショックを受けた。

私が見始めた頃は、落ちた雛も親が来るたび一所懸命鳴いていたが、途中から鳴かずに奥に引っ込んだ。事実かわからないが、スズメは4時間以上何も食わなかったら死ぬと何かでみたことがある。たぶんそれは事実ではないが、この雛も長時間食べてないので弱っているのではないかと思った。ということで助けようとしたが、3人の年配者にこう言われた。雛に人間が触ると、人間の臭いがついて、親がその雛を攻撃するようになる、と。実際にこのサービスエリアで人に助けられた雛を親がしつこく攻撃して巣から追い出したことがあるという。そんな話は初めて聞いたのでほんまか?と思ったが、複数人が言っているし、ありえそうではある。重要なことなのでネットで調べると、実際はそんなことはないみたいだ。ということで表から椅子をもってきて、お店の台に載せて、発泡スチロールを覗き込む。おもしろいことに、人間が目の前に現れて雛も内心ギョッとはしたのだろうが、逃げたり鳴いたりはまったくしなかった。ずっと人間を上から見ているので、慣れているのかもしれない。早く作業を終わらしたかったので、雛の正面から掴もうとすると、さすがに雛はビクッとして反射的に後ろに下がろうとした。そりゃそうだ、どう考えても怖いだろう。ちなみにこの雛がいた場所は、糞の塊の上だった。捕まえて巣に戻してやると、自分で進んで戻っていき、奥に行って動かなくなった。久しぶりに家に帰って安心したか。この際に2羽も驚いたはずやが、リアクションはとくになかった。やはり人馴れしているのかもしれない、これがスズメならリアクションなしにはならんだろう。作業を終えるとおばちゃんに、「親が来なくてよかったね」と言われて気づいたが、たしかにそうだ。そして下で様子をみていると、時間が経つと落ちた雛も親が来ればエサをねだるようになり、そして親も排除するような行為をしなかったので、一件落着である。ツバメに触るのは2年ぶりだった。

さらに時間が経って下から見上げると、1羽が私を凝視している。3羽のうち1羽は一回り大きく、彼ではないのはわかる。もう2羽の区別がつかないが、この凝視している雛は助けた雛かもしれない。何が起きたか理解できてないだろうが、私のことはわかっているのかもしれない。彼はこちらをずっと見ていたので、なにか不思議な感じがした。

もう既に、3羽とも巣立ちしたとのことで、よかった。これから東南アジアあたりに行くのだろう、生き延びて、次は子供を産む親として、日本に帰ってきてほしい。f:id:suzaku-umenoya:20170924230944j:plain

 私を見ている

葛西海浜公園で泳ぐ

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江戸川区葛西臨海公園の先には葛西海浜公園があり、夏には海水浴ができる。数年前から一週間の期間限定で泳ぐことができ、今年から一か月ほど泳げるようになった。かつての東京湾は泳ぐなどもってのほかというほど水質が悪かったが、近年は改善されたらしい。ここの素晴らしいところは、東京都で唯一の海水浴場だということ。そして私の家から10㎞しか離れていない。海で泳ぐために千葉や伊豆などにわざわざ行かなくてもよく、私にとってはたいへんにありがたい存在である。ということで今年は何度もここで泳いだ。

葛西で泳ぐ際に気を付けねばならないのは、干潮やと水位が低すぎて泳げないこと。満潮でロープがされている限界まで進めば頭が浸かるほどの水位になる。知らなかったが、干潮満潮とはべつに潮目というものがあり、小潮のときだとまったく水がない。一度知らずに行くと、泳ぐなど不可能で、干拓みたいになってて驚いた。

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 ディズニーランド

 

ここに行く目的は泳ぐことやが、当然、疲れるのでずっとは泳げない。ということで他の遊びはカニを捕まえること。名前を知らなかったが、紫色の、大きいものだと手のひらよりもでかいカニがたまにいるので潜って捕まえる。このカニの習性はおもしろく、海から出すとおとなしく、水の中に戻すとすぐ逃げようと動く。そしてなぜか腹を掴むと足を高速でバタバタさせて嫌がる。

海水浴の開催期間が終わったある日、地元の商店街を歩いていると魚屋があり、箱が置いてある。何かの生き物がいるので好奇心から覗くと、私が捕まえていたあのカニ達がいて驚いた。この邂逅のおかげでこのカニの名が「ワタリガニ」やと知ることができた。つまり食うことができるのだった。だから彼らは本気で逃げてたんだな。ちなみにワタリガニは俗称で、ガザミが本来の名とのこと。

この海水浴場は存在するだけでありがたいので文句つけるつもりはないが、雨が強く降ってきたら海から引き上げさせられる。私からすれば雨ぐらいでそんなことするなよと思うが、ただ、泳いでる人は子供もいるのでこの対応が正しいのだろう。もし死人が出れば、たいへんなことにはなる。私個人の考えでは、土砂降りだろうが泳がせてほしい、どっちみち濡れてるのやから。大して深くもない海で溺死したら、それはそいつの責任である。

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 先には東京ゲートブリッジがみえる

 

駐輪場から海まで10分ほど歩くが、後半で気づいたのは、裸足で歩けば楽しいということ。足裏はツボがあるので裸足で歩くのは健康によいと思う。けれど、健康のために裸足で歩こうなんて言ってるのを聞いたことないが、なぜだろう。裸足で歩いてたら刺激があって気持ちいい。ただすれ違う人に奇異な目でみられる、やっぱり裸足で歩く場面が日常でないからおかしいと感じるのだろう。

ということで、葛西海浜公園の海水浴はほんとうに素晴らしいと思っている。来年も行きまくりたい。プカプカ浮いてると、海っていいなと感じる。この感覚の起因が遠い先祖が海中で生活していたから----であれば、ロマンがあってたいへんよろしい。

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 橋を渡れば海水浴場

 

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 左が海水浴場で、先は都心

 

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 葛西臨海公園は広く、自然豊か

 

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  大きな観覧車もある

 

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  セミとも遊びたいの

立石寺(山寺)に参拝する 山形市

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立石寺(りっしゃくじ)は通称「山寺」とよばれ、立石寺は知らなくても山寺でなら知っている人はいるだろう。ここは山形市から15㎞ほどの距離の場所にあり、アクセスよい。この記事を書くために地図をみると、山形市の隣は仙台市で、おそらく市内から市内は60㎞ほどしか離れていない。2都市間の移動をしていないので知らなかったが、これほど近いことに驚いた。下道の交通量がわからないが、流れよいなら2時間もかからず行き来できるだろう。山形市内の人はしょっちゅう仙台に遊びにいっているのかもしれない。私ならそうする。

山寺といえば、まずは松尾芭蕉奥の細道について思う。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の素晴らしい句は誰もが知っている。今の山寺は多くの参拝客で賑わっているので静けさを感じることはできないが、当時は静かだったのだろう。もちろん人気がなかったという意味ではない、当時は今と比べれば人口は少ないし、旅は気軽にできるものではなかった。誇張でなく、長旅は生死をかけてするものだった。ということどもを考えると、当時の山寺の雰囲気が微かながらも想像できる気がする。ちなみに芭蕉奥の細道で多くの句を詠んだが、松島で詠んだといわれる句は彼のものではない。

立石寺の最大の特徴は、「なんと素晴らしい土地にあるのだろう」。それを感じるだけでもここを訪れる価値はある。まずは根本中堂があり、階段を登ると五大堂や奥の院がある。五大堂から周りを眺めると感動した。下の写真にもあるが、場所柄、山寺も修験道が盛んだったのではなかろうか。お寺自体も、境内の広さも高所から眺める景色のすべての魅力を含めて考えると、東北を代表するお寺だと思う。

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 根本中堂

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 ここでお金を払って、階段を上がっていく

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 奥の院

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 五大堂

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 五大堂からの眺め

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私のお寺巡り

寺123 の検索結果 - Toita blog

出羽三山神社に参拝する 山形県鶴岡市

出羽三山神社がある羽黒山は、昔から山岳信仰が盛んで、東北における修験道の聖地のような場所である。初めの鳥居をくぐってすこし歩くと、川と滝が現れる。なるほど、これらは修験道に相応しいなと思った。さらに歩くと左手に羽黒山五重塔が建つ。この五重塔は有名で、東北旅行のポスターに使われるケースもあり、なんと国宝である。目の前に立つと、あまりの美しさに感動した。さすがは国宝だ。多くの五重塔をみてきたが、羽黒山五重塔がもっとも美しく素晴らしい。おもしろいことに背は高くなく、五重塔のなかでは低い部類に入るだろう。考えてみると、奈良にあるのがわかりやすいが、五重塔は平地に建てられている。山の中にあるのは珍しいだろう。よくぞこのような場所に建てたものだなと思う。羽黒山五重塔をみるためだけに鶴岡へ来る価値はある、それぐらい立派な建造物だ。f:id:suzaku-umenoya:20170902233231j:plain

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神社は山の上にあるので、ひたすら階段を登っていく。同じスタイルのものは香川県にある金毘羅さんこと金刀比羅宮である。ここも長い長い階段を登っていく。私は香川で住んでいたので、金毘羅さんにはよく参拝した。ただし両者に違いはあり、金毘羅さんは多くが山の側面を進むが、出羽三山神社は山の中を登っていく。ちなみに石段は2446段あるとのこと。

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神社に着くと、5月で雪が残っている。考えてみれば鶴岡あたりの冬は雪が積もる、いや豪雪地帯かもしれない。したがって冬は参拝できないのだろう。平地の神社に比べ、山の奥にある神社は聖なる気を感じるし、たいへんな思いをして辿り着いたので達成感もある。お寺もあるのは、ここが修験道の地だからだろう。それにしても、今ならこのような場所でも車などで材料を運べるが、当時に神社をつくるのは想像できないほどの難工事になる。よくつくれたものだなと不思議に思う。

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 寺

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私の神社巡り

神社123 の検索結果 - Toita blog

東北ツーリング③ …青森市~三内丸山遺跡~弘前~秋田市~羽黒山~山形市~米沢~喜多方~会津~東京

青森市内で宿泊し、まずは三内丸山遺跡に行く。ここへ行ってみたいと以前から思っていた。この集落は、山の幸、海の幸と食料が豊富にあり、この地の縄文人はかなり豊かな生活を送っていたようだ。遺跡が発見されたのは1995年あたりで、当時のことは知らないが、青森にこれほど大きな縄文時代の集落があるとは考えられていなかったので、大きなニュースになったことだろう。

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次は三内丸山遺跡からさして遠くはない弘前へ向かう。弘前城は江戸時代からの天守が残る東北唯一の城で、さらには日本一といわれるほどの桜の名所でもある。ちょうどこの時期は見頃なので楽しみにしていたら、なんと昨日の雨で多くが散ってしまったという。せっかく遠路はるばるやって来たのに残念だ。城から近い、日本最北の五重塔がある最勝院にも行く。

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 ・・・

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羽州街道日本海へ向かう。弘前を離れると雨が止んでいたこともあり、この道は愉しく走れたことを覚えている。空気が美味しく、山々の景色が綺麗だ。秋田市に近づくと雨が降ってきた。秋田市内で宿泊。起きると本降りで、しかも寒いからバイクに乗りたくないと本気で思ったが、一日留まる日程の余裕はないので、気合い入れて走る。秋田市から100㎞ほど南下すると酒田で、そして鶴岡に入り、羽黒山出羽三山神社へ参拝する。酒田あたりで雨が止む。羽黒山は昔から修験の地として有名で、たしかに山から霊気を感じる。1時間ほど山道を登っていかないと神社へ辿り着かない。参道の途中に、東北最古の塔といわれ、かつ国宝の羽黒山五重塔がある。塔を眺めていると、あまりの美しさに感動した。

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12時ぐらいに羽黒山を出、山形市まで向かう。引き続き雨が止んでいるのですごくうれしい。10kmほど走ると最上川に出会う。私は中学生のときに「五月雨をあつめて早し最上川」の松尾芭蕉のおくのほそ道の俳句を知って以降、最上川に憧れを抱いていた。最上川沿いを通る鶴岡街道を走り、最上川が非常に綺麗で感動した。東北の自然はほんとうに凄い。15時過ぎに山形市にある山寺に着く。これもまた、芭蕉の詠んだ句から想像できる通り、素晴らしいお寺である。

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17時ぐらいに山寺を出発し、米沢まで走る。米沢では上杉神社に参拝し、田沢で宿泊。

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 道の駅「田沢」の横を流れる鬼面川

 

あくる日はやっと晴れてくれた。喜多方まで行き、ラーメンを食べる。店主がピリピリしており私語などできる状況ではないのでみなさん集中して食べていた。味は素晴らしい。

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喜多方から会津は近い。会津若松城がかなり大きな城だったので驚いた。お城に登って会津の景色を愉しみ、次に白虎隊が自決した飯盛山へ行く。階段を上がった土産屋で話をすると、下の土産屋は元々このあたりで住んでいた人達ではなく、たんに商売をやっているだけで、上の墓がある場所には来ることさえしないという。戊辰戦争後に、名前は忘れたが会津側の人間で、裏切ったか何かをした人の子孫が飯盛山に来たときに、急に雹(ひょう)が降ってきたという。土産屋での話を終え、自決した場所へ行くと、若いカップルが墓の前でピースサインをして写真を撮っていたのでぶん殴ろうかと思った。白虎隊の人達が炎上する城を眺めた場所に立ち、私も城下町をみる。江戸で血が流れなかったために、会津戦争が悲惨になった。

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f:id:suzaku-umenoya:20170816043652j:plain会津行きをもって、東北ツーリングは終わろうとしている。日光街道を南下し、200㎞、あるいはそれ以上の距離を走って東京まで帰る。振り返るとバイクが故障したり、雨がよく降ったりと厳しい修業になったが、東北の魅力ある場所にたくさん行くことができて満足である。東北が大好きだ。

恐山に参拝する 恐山菩提寺

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恐山は下北半島の先にある。大阪や東京に住んでいれば遥か遠くにありにけり、となる。恐山と私の最初の関わりは、20歳のときに北海道ツーリングをし、帰りは本州を走っていこうと思ったので、夜に函館からフェリーで大間へ行き、真っ暗の道を走ることになった。危ないと思ったのと疲れていたので公園で寝ることにしたが、この近くには有名な恐山がある。そこは霊場なので、幽霊が出るのではないかとビビりながら寝たのを覚えている。あれから7年ほど経ち、初めて恐山に行く機会を得た。寺の名は菩提寺という。

この日は残念なことに本降りである。恐山の性格を考えれば、雨のほうが雰囲気出ていいか?そんなことない、次いつ来れるかわからないほど遠いので晴れた日がいいにきまっているが、こればかりはどうしようもない。

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境内に入ると、なるほど霊場の雰囲気がある。日本三大霊場は恐山と高野山延暦寺で、私はそのすべてに行ったことあるが、高野山延暦寺霊場と呼ばれるに相応しいスピリチュアルな土地である。先人はきちんとそれを感じて、このような土地に寺院をつくったのやと思う。強い硫黄臭があり、参拝者が置いていった小銭が溶けるほどのガスが出ている。

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寺の人から聞いておもしろかったのは、恐山の水子供養の風車は有名やが、これは寺が始めたのではなく、参拝者がやり始めて、いつの間にか定着したとのこと。もともと恐山は水子供養に力を入れていたわけではなかったのだ。

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恐山まで行くのはなかなか難しいが、私のようにお寺参りに関心がある人にとっては行く価値はある。というか、一度は訪れねばならないだろう。本州の最果てだからこそあのような霊場が生まれたのやと思う。

 

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 宇曽利湖

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私のお寺巡り

寺123 の検索結果 - Toita blog

平泉を訪れる 中尊寺・毛越寺・無量光院・義経堂

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平泉は約100年ものあいだ、栄華を誇った奥州藤原氏の拠点である。奥州藤原氏の初代は清衡で、彼が中尊寺を建立し、ここに有名な金色堂がある。二代目は基衡で、彼が毛越寺(もうつうじ)を、三代目の秀衡が無量光院を建立する。そして四代目の泰衡の代で鎌倉幕府に滅ぼされ、奥州藤原氏の歴史は終わる。

平泉に多大な関心を抱いていたので、訪れることができてうれしい。今はゴールデンウイークで、バイクに乗って平泉へ向かっていると雨が降ってきた。もちろん晴れているほうがいいが、雨の境内は趣がある。

月見坂を進むと、まずは左手に弁慶堂があり、その先の右手に本堂がある。さらにそこから奥へ進むと左手に金色堂である。金色堂は冒頭の写真の建物のなかにあり、拝観料を払って観ることができる。なるほど、実際に観ないとわからないことだなぁと思ったのは、実はそれほど大きくはなく、高さは4mぐらいだったと記憶している。これはすべてを金で作っており、それほど奥州藤原氏の領土で金が採れたということでもあり、豊富な資金力を要した証左でもある。たとえば金閣寺は金箔を貼ってあるだけで、金でできている金色堂とはまったくちがう。マルコ・ポーロの「東方見聞録」で黄金の国・ジパングと日本が紹介されているが、日本で金が豊富に採れるというソースは金色堂からきているといわれている。

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 桜と北上川f:id:suzaku-umenoya:20170826001039j:plain

 本堂

 

中尊寺から直線距離で500mほど離れた地に、基衡が建立し、秀衡が完成させた毛越寺がある。毛越寺中尊寺を凌ぐほどの繁栄をしていたといわれており、土地の半分ほども占める大泉が池という浄土庭園がある。頻繁にしているのか、たまにしかやらないのかわからないが、鹿踊りを観ることができた。

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 左手には御朱印

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毛越寺からすこし離れた場所に無量光院跡がある。名のとおり無量光院は再建されておらず、池しかない。池しかないが、この地で目を閉じて佇んで、800年以上前に繁栄した都市を想像する愉しみがある。私も入館した平泉文化史館に展示してある有名な奥州藤原氏の絵図には、上に初代の清衡がいて、下に並んで基衡、秀衡がいる。一族を滅ぼした泰衡は悪い奴とされているのでそのなかに加わってないが、その認識は間違いかもしれない。なぜなら幕府が攻めるきっかけとなった義経の保護をしたのは秀衡だからだ。したがって泰衡はバカだと決めつけることはできない。

都から遠く離れた平泉では、防衛をさほどは強化していなかったはずで、それは泰衡の責任ではなく誰が統領であっても幕府から攻められれば負けていただろう。

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最後は義経の死に場所といわれている義経堂へゆく。義経にとっては殺されたので嫌な場所だろうが、この地から北上川を眺めると、非常に美しい景観で感動する。平泉を訪れた芭蕉が素晴らしい句を残した理由が理解できる。司馬遼太郎氏は義経を、「日本史が得た最初のヒーロー」と評した。ちなみに昨日の8月26日に氏原作の「関ケ原」が上映された。私は原作を持っていて、非常におもしろい小説だ。関ケ原の戦いはいろんな角度から考えることができるが、私が挙げる勝敗を決めた最大のポイントは、三成の嫌われっぷりである。こういうEQが0の時点で総大将になってはいけない。

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東京以西に住む人にとって、平泉へ行くのは大変である。が、歴史好きなら一度は訪ねたい土地であり、わざわざ遠くから訪れる価値はある。

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 中尊寺の本堂

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 毛越寺 入口

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 義経

 

私のお寺巡り

寺123 の検索結果 - Toita blog

東北ツーリング② …一関~平泉~野辺地~むつ~青森市…

5月の岩手は当然、寒い。道の駅「厳美渓」で震えていると、地元のおじいさんが私に近寄ってきて、「これをあげるよ。見てて可哀そうだよ」とビニール袋をくれた。これはたまたまではなく、東北の人はよく言われるとおり、本当に親切な人が多いのだった。おじいさんは同情しているのでなく、私を本気で心配していた。こちらは好きで野宿をしていて、かつてはさんざん野宿をしてきたので寒いぐらいでは音を上げないが、他人様に心配かけさせてしまったのは申し訳ない。ちなみに今はもう、野宿はしません。

道の駅で50代ぐらいの男性と話をすると、京都から車で来たという。被災地を見にきたのだった。「自分には何もやれることはないけど、現地に来て、何か物を買ったりしてお金を使うことぐらいしか自分にはできないから…」と彼に言われ、私は感動した。これ以降、地震などの被害に遭った地域には、募金などでなく、現地に行ってお金を落とすのが私のできる行動だと考えるようになった。名も知らぬ彼から大切なことを学んだ。

私が泊まった厳美渓はとても素晴らしい景観で、さすがは東北やなと思った。有名な観光地らしい。

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ずっと行きたいと思っていた平泉は、期待を裏切らずたいへん魅力のあるお寺であった。いや、現在は寺がメインになっているが、ここは奥州藤原氏の住む都市だったので、全体を感じたい。義経が死んだといわれている場所から北上川を眺めると、あまりの美しさに感動し、しばらく動けなかった。東京から遠いので難しいが、平泉にはまた訪れたい。

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平泉を出発し、奥州街道をひたすら北上する。盛岡を越え、青森に入ると南から一戸、二戸、三戸…と続いていくのはおもしろかった。驚いたのは、五戸あたりの真っ暗な奥州街道を走っていると、体感温度がぐんと下がった。近くではないが、ちょうど西には十和田湖があり、このあたりを境に気温が変わるのかもしれない。七戸あたりに着いたときは18時か19時ぐらいになっていて、ガソリンの残量が少なくなっていた。ただ幹線道路なのでどこかにガソリンスタンドがあるだろうと思っていたが、これは都会の感覚で、あるにはあるが、閉店時間が早いのだった。ということで目的地の青森市まで走れない。田舎では早めに給油せねばならないことをうっかり忘れていた。野辺地まで走り、警察署があったので、ガソリンを売ってくれませんかとお願いすると、「ここは警察署なのでガソリンは売れません」。そりゃそうだ。たしか市内のガソリンスタンドはもう閉まっているとも言われたと思う。では公園で野宿するので、近場の公園を教えてくださいと言うと、25歳前後の若い警官に、

「ぼくも東京に行ったことありますが、田舎と東京は違うのです。公園で野宿なんてしてたら住民に通報されるので、それはやめてください」

通報も大事やが、雨も降っていたし、その状況下の青森で野宿するのはさすがに無理かなとも思ったので、たしかコンビニで宿を教えてもらって「ビジネスランド 豊楽」という宿で泊まる。風呂場が広く、部屋も清潔で久しぶりにきちんと眠ることができ、疲れがとれた。10時ぐらいに野辺地で給油し、下北半島を走る。

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下北半島も天気悪く、運転を愉しむ状況でなかったのは残念だった。100kmほど走るとむつ市内に入り、まずは100円ショップに行き、Tシャツを5枚ほど買って重ね着する。むちゃくちゃ寒いのだった。そしてホームセンターに行き、カッパを買う。これで一応は雨の中も走れる体制にはなった。

目的地は恐山である。市内から5㎞ほど走った山の中で、バイクが突如として「バンッ!」と音を出し、走らなくなった。驚くことにチェーンが切れた。今、私がいる場所は下北半島の先っちょで、つまり本州最北端である。故障する場所としては最悪だろう。それに加えてゴールデンウイークは多くのバイク屋が休みである。とどめは雨が降っている。あのときの絶望感は今でもよ~く覚えている。すべて投げ出したい気分になるが、そういうわけにはいかないので、私にできることはバイクを押して市内に戻り、バイク屋を探すこと。通行人にバイク屋を教えてもらい、そこへ行くと、ありがたいことに営業している。「営業中のバイク屋を見つける」という第一段階はクリアした。第二段階は、そのバイク屋にチェーンがあるかどうかである。事情を説明し、バイクを見せて、バイク屋の人が近所のバイク屋?に電話し確認すると、なんと中古のチェーンがあるという。バイクがぶっ壊れたときは自分の運の悪さを呪ったが、なぜか後々はうまく事が運んだ。チェーンを交換してもらい、バイクは復活する。最後は、代金はいくらになるのかなと思った。というのも私には選択肢がなく、追い込まれている。つまりいくらでもふっかけれるわけだ。すると中古のチェーンと整備費用で正しい金額を請求されてビックリした。東北の人やから、足元みて高額請求などしないのだろう。むつ市内にある「橋本自転車店」は素晴らしいお店です。私にとっては恩人だ。もしバイク屋が見つからなかったら、バイクを置いて電車で青森市まで行き新幹線で帰京し、連休明けにむつを再訪し、バイクを直して配送で東京に戻すという、大変な手間と金がかかる行為をしなければならなかった。本当にありがたい。店にはおじさんと20代ぐらいの若い人がいて、後者に冬の恐山の道路は深い雪に覆われるので、スノーモービルで遊びまくると言われ、写真を見せてくれた。冬のむつの生活は大変だろうが、スノーモービルは羨ましい。

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バイクの故障という恐ろしい試練を乗り越え、恐山へ再び向かう。何が楽しくて雨の青森を走らねばならんのかとも思うが、天候はどうしようもない。恐山は霊界と繋がっているといわれているが、たしかに怖い雰囲気がある。夜に一人でここに来るのは無理やと思わせる土地だった。この地から遠い東京で住んでいれば、再び訪れる機会を作るのは難しい。

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15時30分ぐらいに恐山を出発し、130㎞ほど離れた青森市に向かう。このときも雨が降っていたので、どうしようもないこととはいえ、当時の自分は根性あるなと振り返って思う。今はもう、雨の中をバイクで走るのはキツい。せっかく下北半島を走っているのに、雨で楽しめなかったのは哀しい。青森市内で宿泊。

東北ツーリング① 被災地を走る 東京~南相馬~仙台~松島~一関…

私は学生時代にCB400SF(NC39)で北海道ツーリングをし、函館からフェリーで大間に入り、4号線で東北を縦断したことがある。このときは走るだけでどこかに寄ることはしなかった。ということで走ったことはあるが、本格的な東北ツーリングは今回が初めてとなる。東京の自宅を出発し、6号線を北上する。福島に入り、福島第一原発ちかくの双葉町では通行止めになっている。原発の20㎞圏内は立ち入り禁止で、このあたりの住民は強制退去させられているので、町が無人化している。廃墟になっている町を初めてみて、改めてショックを受けた。バイクで現場を見て回る。南相馬市で宿泊。

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 道の駅「南相馬

 

翌日は南相馬から北上するが、このあたりは津波の被害が大きい地区だ。津波から1年経っているが、被害が甚大なので復旧は進んでいない。家などがすべて津波にやられてしまい、建物が何もない広い土地をみると天変地異の恐ろしさを思う。津波に襲われた人達の恐怖は大変なものだったろう。こんな大きな船が陸まで流されるので、大津波がやってきたらどうしようもない。

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海に向かうと、たまたま行ったところが伊達政宗がつくらせたといわれる「貞山堀」だった。土地の人と話をし教えてもらう。

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仙台に入る。仙台に来るのは久しぶりで、走っていて驚いたのは、中心地の区画整理がきちんとされており、非常に走りやすいこと。日本の都市では珍しいと思う。青葉城跡に行き、ここに宮城縣護國神社があるのでお参りし、そして仙台市内を眺める。素晴らしい景観で感動した。雪が降り、積もるので冬の生活は大変やが、春夏秋は住み心地のよい街なのではないかと感じた。仙台が好きになった。

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次は政宗の霊廟の瑞鳳殿(ずいほうでん)に行く。霊廟なら地味な造りかと日本人の感覚では思うが、日光東照宮のような派手なものである。もしかすると、政宗の好みなのかもしれない。

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市内から20㎞ほど走ると、松島に着く。松島には伊達家の菩提寺である瑞巌寺(ずいがんじ)がある。本堂へ歩いていると、津波がここまで来たと書いてある看板がある。瑞巌寺は国宝で、境内は素晴らしい雰囲気であるが、残念なことにたしか本堂やったと思うが、修理中だった。

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松島である。松島に行きたいと強く思っていたのですごく嬉しい。想像した以上に素晴らしい景色で感動した。時間があれば、ずっと景色を眺めていただろう。

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 有名な鑑賞地点は山を登る

 

夜に長距離を走るのは避けたかったが、松島に魅せられて遅くの出発となる。奥州街道に入る頃には既に暗くなっていた。奥州街道は江戸時代の五街道のひとつで、由緒ある街道である。このあたりは田舎なので、街灯はあれど、ほぼ真っ暗の中を走ることになったが、交通量は少ない。したがって後から振り返ると危ないのですべきではなかったが、スピードを出しまくってひたすら走る。100㎞ほど走って、目的地の岩手県一関に着き、宿泊。なぜ真っ暗のなかを走ってまで一関まで行ったかというと、明日に訪れる目的地が奥州藤原氏栄華の地、「平泉」だからである。